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2021.03.16

Fukushima

3月になって、更に暖かい日が続いています。おかげで花粉は猛威をふるっていますが皆様体調如何でしょうか?

昨年からのコロナ蔓延で、生活がガラッと変わり、1年経過した後の春でもう少し気分が晴れると思いきや、緊急事態宣言の延長です。色々な指導者が様々な要求をしていますが、国民の皆さんは本当に耐えて頑張っているなと思います。

さて、今年で東北震災後10年を迎えました。3月に入り、様々なメディアで報道されておりますが、まだまだ復興出来たとは言えない状況です。その中で、一番復興が遅れているのはやはり福島ではないのでしょうか。先日、福島原発事故を題材にした「Fukusima50」という映画がテレビ放映されました。かなり緊迫感ある内容でした。実際はその何十倍の恐怖と戦っていたのではないのでしょうか。そこで今回は開院直前の20188月に1人で東北旅行した時のお話しをします。

福島は医者になって3年目の新米時で苦しかったり楽しかったり思い出が一杯の土地で、私が初めて本格的にサーフィンを始めたのも福島でしたので被災してからずっと気になっていました。私が赴任したのは福島でも真ん中あたりで、「中通り」と言われる郡山でした。もちろん中通りも震災で被害が大きかったと思いますが、やはり「浜通り」と言われる海岸地方は津波や原発事故で比較にならないほどの被害だったと思われます。たまに中通りから浜通りの海に遊びに行った際にお世話になったサーフショップや定食屋さんはすべて更地になっており、浜にみえるのは殺風景な防潮堤だけになっていました。そこから国道6号線を北上するとまもなく帰還困難区域に入り、歩行やオートバイは未だに制限されておりました。国道沿いは廃墟だらけで、海岸方向の道路はすべて閉鎖されておりました。当然車外に出られませんので通り過ぎるだけでしたが、日本ではない殺伐とした風景でした。更に北上し、陸前高田まで足をのばしました。有名な「奇跡の一本松」はすでに枯死して人工的なモニュメントになっており、胸が詰まる思いでした。夜は気仙沼のビジネスホテルに泊まりましたが、比較的賑やかで居酒屋ではたくさんの地元の土木業労働者で賑わっており、仲良くなった若者に自分の素性を明かし開院前の不安な胸の内を話すと逆に明るく励まされましたのを覚えております。

 「Fukushima 50」は、節目にしては短すぎる10年目の311日を迎え、コロナ禍で震災の恐怖を忘れてしまっているのを思い出させてもらった作品でした。その中で、最後に渡辺謙さんが演じる当時の吉田所長(現場の最高責任者)が、何が間違っていたのかと言う問いに「自然を甘く見ていた。コントロールできると勘違いしていた。慢心だった。」という台詞が印象的でした。人間の出来る限界は思っているほど高くは無いのかとコロナ禍であらためて感じました。

写真はかつて通い詰めた大好きだったビーチで今は更地になってしまった福島いわき市四倉海岸と帰還困難区域内の国道6号線です。悲しい写真ですが、私にとって大事な2枚の写真です。